安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将で、藤堂家の一門重臣。慶長7年(1602年)に板島城内で元服し、異母兄の藤堂高虎の旧称である与右衛門を継ぎ、5000石を与えられる。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で初陣し、真田丸の攻防戦で奮戦するも負傷。翌年の大坂夏の陣では伊賀名張城の城代を任されるが、命令に反し出陣し活躍するも、戦後に所領を没収され蟄居。元和5年(1619年)に許され、伊賀上野城の城代に復帰。その後、宗家を補佐し続け、寛永17年(1640年)に没する。遺体は伊賀上野の長者屋敷に葬られた。











