伊勢津藩第10代藩主である藤堂高兌は、寛政2年(1790年)に久居藩主となり、藩政改革を進めた。寛政9年(1797年)には「義倉積米」制度を導入し、藩士の知行や扶持米から一部を積み立て、藩内の事業資金や災害復興に活用した。文化3年(1806年)に津藩主となると、法令の整備や教育制度の確立を行い、藩政の安定化を図った。さらに灌漑用水の整備や産業育成を推進し、領民の生活を向上させた。文政7年(1824年)に44歳で病死するが、領民から大いに慕われた。高兌の死後、津藩の財政は再び悪化したが、大正天皇から従三位を追贈された。


