系譜で辿る日本史

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松平定昭まつだいらさだあき

松平定昭

定勝系久松松平家15代・17代

氏族称・中原氏
生没1845年 - 1872年
位階従四位下
官職 式部大輔 侍従 左近衛権少将
幕府職伊予松山藩主

伊勢国津藩主の5男として生まれ、安政6年(1859年)に伊予松山藩13代藩主の養嗣子となる。万延元年(1860年)に従四位下・式部大輔に叙任され、さらに侍従、左近衛権少将に昇進。慶応3年(1867年)には老中に就任し、御家門としては松平定信以来の任命だった。大政奉還後、老中を辞職し、鳥羽・伏見の戦いで朝敵とされ蟄居を命じられるが、翌年に赦免される。明治4年(1871年)に知藩事となるも廃藩置県で職を失い、翌年東京で死去。享年28。神式で葬られ、遺髪は松山に送られる。

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藤堂虎高

9親等祖先

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