河内狭山藩の第5代藩主である氏朝は、寛文9年(1669年)に生まれる。異母兄で第4代藩主の氏治に嗣子がいなかったため、天和3年(1683年)に養子として迎えられた。元禄9年(1696年)に氏治の死去により家督を継承。藩祖・北条氏規の再来と称されるほどの聡明さを持ち、元禄5年(1692年)には伊東一刀斎から一刀流の免許皆伝を受けた。幼少期に法雲寺で修行を積んだこともあり、幕府からも実力を認められた。元禄16年(1703年)には京都火消役、享保5年(1720年)には伏見奉行、享保19年(1734年)には奏者番に任じられるなど、幕府の要職を歴任した。藩政では陣屋の拡大を進めたが、幕閣入りによる出費増大で藩財政は悪化し、倹約や上米を行う。享保20年(1735年)に67歳で死去し、長男の氏貞が跡を継いだ。生涯の記録として『北条氏朝公日記』が残されている。
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