江戸時代中期の大名である高木正陳は、河内国丹南藩の6代藩主を務めた。天和元年(1681年)に兄の死を受けて藩主となり、元禄元年(1688年)には叡福寺の上の御堂や二天門などの建立を行った。元禄2年(1689年)には大番頭に就任し、同年には従五位下・主水正に叙任される。元禄12年(1699年)、領地の一部が下野国足利郡に移される。正徳元年(1711年)には奏者番に就任。元文6年(1741年)に病に倒れ、2月5日に77歳で死去。茶人としても知られ、一尾伊織の門人であった。墓所は東京都杉並区の栖岸院にある。











