戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、江戸時代に旗本となり、美作国津山藩の家老を務めた。織田信長に仕え、羽柴秀吉の部将となった。天正元年(1573年)に近江国で知行を得、天正10年(1582年)の本能寺の変後、家族を救出しようとするが失敗。その後、秀吉の直臣となり、黄母衣衆に加わる。文禄・慶長の役に参加し軍功を挙げ、1,860石が加増された。関ヶ原の戦い後、徳川家康に仕え、摂津国と丹波国で2,360石を知行。江戸幕府成立後、旗本となり、後に津山藩で執権職を与えられた。元和9年(1623年)に64歳で死亡し、京都建仁寺の常光院に葬られた。法名は紹賢。






