陶晴賢(陶隆房)は戦国時代の武将で、大内氏の家臣として知られる。天文5年(1536年)に養父・陶興房から家督を継ぎ、大内義隆の寵童として重用された。天文10年(1541年)、尼子軍を撃退するなどの軍功を挙げたが、第一次月山富田城の戦いで大敗を喫した。その後、大内家内での権力争いに巻き込まれ、天文20年(1551年)に大内義隆を討ち、大友晴英を新たな当主に擁立。晴賢と名乗り実権を握った。しかし、天文24年(1555年)、厳島の戦いで毛利元就に敗北し、自害。享年35。彼の死後、大内氏は急速に衰退し、最終的に滅亡した。

