戦国時代の武将である陶興房は、周防国の大内氏に仕えた重臣。父の陶弘護が暗殺された後、兄弟間の対立を経て家督を継承。大内義興に従い数々の戦で軍功を挙げた。義隆の時代には、当主交代を平和裏に進めるなど、大内家の安定に貢献。九州での大友氏や少弐氏との戦いでは優位を確立し、少弐氏を一時滅亡に追いやった。隠居後、養子の陶晴賢に家督を譲り、天文8年(1539年)に死去。戦功に優れた名将であり、和歌にも通じた教養人とされ、公卿との交流もあった。興房の死後、陶晴賢の性格を案じる声もあり、後の陶家の動向に影響を与えたとされる。

