戦国時代から安土桃山時代にかけて活動した武将で、形式的に因幡国の守護となった。1563年、反守護を掲げた武田高信に擁立され、道竹城を拠点としたが、実権は高信に握られていた。毛利氏の支援を受けて因幡で優位を得るが、地元国人の掌握に苦しみ、山名祐豊の介入を招いた。1569年には但馬衆の攻撃で岩井城から退却。1570年頃から山名豊国や尼子勝久らの侵入で劣勢となり、天正4年(1576年)には高信を失う。晩年は豊国と和解し、その許に身を寄せたとされる。最後の活動は1580年、家臣に所領を給付した記録が残る。以後の動向は不明。











