奈良時代の皇族である船王は、二品・信部卿の官位を持つ。神亀4年(727年)に従四位下に直叙され、天平15年(743年)には従四位上、天平18年(746年)に弾正尹に任じられる。孝謙朝では、道祖王の廃太子後に皇太子候補となるが、孝謙天皇からの評判が悪く選ばれなかった。橘奈良麻呂の乱では謀反者の処罰に関与し、正四位上に昇叙される。淳仁天皇の即位に伴い従三位に叙せられ、公卿となる。天平宝字3年(759年)には新羅征討の準備を進めるが、後に信部卿に転任。藤原仲麻呂の乱では仲麻呂と共謀した手紙が発見され、隠岐国へ流罪となった。万葉集に和歌4首が残る。








