飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した舎人親王は、政治家として重要な役割を果たした。『日本書紀』の編修事業を総裁し、養老4年(720年)にこれを奏上した。養老3年には皇太子・首皇子の補佐を命じられ、知太政官事として太政官の首班に立った。最終官位は知太政官事一品であり、薨去後には崇道尽敬皇帝の諡号を贈られる。また、『万葉集』には彼の和歌が3首残されており、文雅を愛した人物であったことが窺える。奈良県奈良市田中町にある黄金塚陵墓参考地が彼の墓とされてきたが、調査により時代が合わないことが判明した。
主な祖先
舎人親王の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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