平安時代前期の公卿で、嵯峨源氏に属する。光孝天皇の元慶8年(884年)に越前介に任じられ、宇多天皇の時代には従五位下に叙される。地方官として出羽守や越前守などを歴任し、昌泰元年(898年)には治国の功労で従五位上に昇進。京官としては左少弁や右中弁を務め、順調に昇進を続けた。延喜11年(911年)に大宰大弐に任じられたが、赴任せず官位を剥奪される。しかし延喜13年(913年)に本位に復し、美濃権守に任じられたが再び赴任しなかった。延喜19年(919年)には参議に任じられ、公卿に列した。醍醐天皇の延長8年(930年)に薨去した。享年については諸説ある。







