奈良時代後期の文人である淡海三船は、元は皇族であったが臣籍降下し、淡海真人姓を与えられた。内豎や式部少丞などを歴任し、天平勝宝8年(756年)には朝廷を誹謗した罪で一時禁固された。恵美押勝の乱では孝謙上皇側に加勢し、正五位上に昇進。称徳朝では兵部大輔などを務めたが、巡察使としての厳格な検察が問題視され解任された。光仁朝では文章博士としても活躍し、最終官位は刑部卿従四位下。文人として石上宅嗣と並び称され、漢詩や『懐風藻』の撰者とされる。『唐大和上東征伝』や『続日本紀』の編集にも寄与したという。享年64で延暦4年(785年)に没した。










