南北朝時代の公卿である阿野実為は、南朝に属し、祖父の縁で後醍醐天皇の寵妃を輩出する家系に連なる。正平6年/観応2年(1351年)頃には右近衛少将となり、やがて参議に昇進。正平20年/貞治4年(1365年)には権中納言、天授元年/永和元年(1375年)には権大納言に就任。後に内大臣となり、元中9年/明徳3年(1392年)の南北朝合一の際には交渉に携わった。合一後に落飾し、匡円と号して嵯峨大覚寺にて後亀山上皇に仕えた。南朝歌壇では多くの作品を残し、『新葉和歌集』には11首が収録されている。応永5年(1398年)から同7年(1400年)にかけて没したとされる。











