幕末の大奥で上臈御年寄として権勢を振るった。17歳で江戸に下向し、大奥に入った。第11代将軍・徳川家斉の娘・和姫の女中として仕え、その後、上臈年寄に昇格。将軍家の縁組や政敵への陰謀が取り沙汰され、政治的にも影響力を持つ。天保15年(1844年)には天ぷらが原因で火事を起こし、本丸を全焼させる事件を起こす。嘉永6年(1853年)、家慶の死後、勝光院と号して隠居するも、大奥への影響力は続き、和宮の降嫁を進めるなど公武合体政策にも関与した。明治13年(1880年)に死去。墓所は増上寺山内の松蓮社にある。











