江戸時代後期から幕末にかけての女性。福井藩主・松平斉承の正室で、将軍・徳川家斉の十一女として生まれる。文化6年(1809年)に仙台藩主伊達政千代と縁組するが、婚約者の死去により破談。後に福井藩主・松平治好の嫡子・仁之助と縁組し、文政2年(1819年)に婚儀を行う。文政9年(1826年)に長女・菊姫、文政12年(1829年)に嫡子・於義丸を出産するが、いずれも夭折。天保6年(1835年)に夫・斉承が死去し、落飾して松栄院と称す。斉承の後継問題では、田安徳川家から慶永を迎える働きかけを行う。安政4年(1857年)に55歳で死去し、天徳寺に埋葬された。









