系譜で辿る日本史

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徳川治済とくがわはるなり

徳川治済

一橋徳川家の第2代当主

准大臣

氏族三河松平氏
生没1751年 - 1827年
位階
官職
幕府職

江戸時代後期の武士であった徳川治済は、一橋家第2代当主として知られる。宝暦8年(1758年)に一橋家の世子となり、徳川姓を名乗った。天明6年(1786年)、将軍家治の死後、息子の家斉が第11代将軍に就任すると、田沼意次の罷免を実現し、幕政に影響力を持つ。寛政11年(1799年)、家督を六男・斉敦に譲って隠居。文政10年(1827年)に77歳で没し、最樹院の法名を与えられた。墓所は東叡山寛永寺にある。文政11年(1828年)には内大臣、翌年には太政大臣を追贈された。

更新
主な祖先

松平清康

7親等祖先

松平信光

11親等祖先

水野忠政

7親等祖先

三浦義同

9親等祖先

於大の方

6親等祖先

徳川治済の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史

主な子孫

細川護熙

7親等子孫

宣仁親王妃喜久子

6親等子孫

近衞忠輝

7親等子孫

水谷川忠俊

6親等子孫

前田利建

6親等子孫

近衛文隆

6親等子孫

徳川慶光

6親等子孫

平沼正二郎

8親等子孫

徳川家広

7親等子孫