寛文7年(1667年)、徳川光貞は父・頼宣から和歌山藩の家督を継ぎ、第2代藩主となる。31年間にわたり藩政を行い、法令27箇条を制定するなどの善政で領民から慕われた。嫡男・綱教に5代将軍・徳川綱吉の長女鶴姫が嫁いだことで将軍家との関係を深めるが、宝永元年(1704年)に綱教と鶴姫が相次いで死去。翌年には光貞自身も薨去し、紀伊徳川家の菩提寺である長保寺に葬られる。政策としては農村法の制定や財政再建策を講じ、後に吉宗の時代にも影響を与えた。文武両道を重んじ、明律学を学び刑法の基礎を築き、また水墨画を描くなど多才であった。享年79(満78歳没)。
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