戦国時代から安土桃山時代の武将で、安房正木氏の一族である。天文2年(1533年)、里見義豊によって父・正木通綱と里見実堯が殺害されると、兄・時茂と共に実堯の遺児・里見義堯を支援し、翌年の犬掛の戦いで勝利を収めた。天文11年(1542年)には勝浦城を本拠地とし、東上総を制圧した。永禄7年(1564年)、里見氏から離反し北条氏康に接近するが、後に里見氏に復帰。勝浦を中心とした水軍の有力な武将として活動し、天正4年(1576年)に56歳で死去した。墓所は千葉県南房総市の正文寺。
主な祖先
正木時忠の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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