江戸時代後期の大名である。美作津山藩の8代藩主として藩政を担った。文化14年(1817年)、松平斉孝の養嗣子となり、文政7年(1824年)には元服し斉民と名乗る。天保2年(1831年)、養父の隠居により家督を継ぎ、以後、財政再建や教育普及に尽力。安政2年(1855年)、養子の慶倫に家督を譲り隠居するも、幕府は誠実な性格を評価し、1万俵の隠居料を給した。維新期には勤皇方針に藩内をまとめ、慶応4年(1868年)には新政府の命で田安亀之助の後見人を務めた。明治24年(1891年)、78歳で死去。長命だったことが特筆される。









