江戸時代後期、徳川家斉の二十五女である喜代姫は、5代姫路藩主・酒井忠学の正室となった。文政4年(1823年)に御台所茂姫の養女となり、翌年に酒井忠実の養嗣子・忠学と婚約。天保3年(1832年)に姫路藩上屋敷へ輿入れした際、中仕切門が格式を越えるとして取り壊される。忠学との間に一女・喜曽姫をもうけ、彼女は後に6代藩主酒井忠宝の正室となる。男子・徳太郎も誕生するが夭折。天保15年(1844年)、夫・忠学の死後に姫路へ移り、同地で没する。墓所は姫路市の景福寺。婚礼に合わせて考案された「玉椿」は現在も姫路名菓として親しまれている。









