江戸時代後期から幕末にかけて活躍した山内豊福は、土佐新田藩の5代藩主として藩政を担った。嘉永6年(1853年)に養嗣子となり、安政3年(1856年)には家督を継承。藩の軍制を洋式化し、軍備増強に努めたが、急進的な佐幕派でありながら武力行使には反対の立場をとる。大政奉還後、徳川慶喜が鳥羽・伏見の戦いで敗走すると、江戸城で土佐藩への批判を受ける。幕府と本藩の板ばさみに苦しみ、慶応4年(1868年)に妻の典子と共に自害した。享年33。死後、従四位を追贈された。
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山内豊福の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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