吉見広頼は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、毛利氏の家臣として活動した。石見国津和野城主として知られ、父の対立による籠城戦で一時人質となるが、厳島の戦いで解放される。永禄6年(1563年)に初陣し、出雲国白鹿城攻めで功績を上げた。天正18年(1590年)の小田原征伐では毛利水軍に加わり、伊豆国下田城を落とす。文禄・慶長の役では病気のため出陣できず、嫡男の元頼が代わりに渡海したが病死。晩年は息子の出奔や家督の問題に苦しむ。慶長18年(1613年)に死去し、晩年は不遇であった。吉見氏は後に断絶した。
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吉見広頼の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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