室町時代の守護大名である。最盛期には周防、長門、豊前、筑前、安芸、石見の一部を領する。応仁の乱では西軍側の主力として参戦し、山名宗全と連携した。文化面でも貢献し、山口が「西の京」と呼ばれる基礎を築いた。文明8年(1476年)に応仁の乱が収束すると、西国の支配権確立に尽力。文明14年(1482年)に重臣である陶弘護が殺害されると、家中の掌握を強化し、専制体制を構築。明応3年(1494年)、体調の悪化により嫡子に家督を譲り隠居し、翌年に死去。享年50。
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大内政弘の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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