江戸時代前期の大名である。備後国三次藩の第2代藩主として知られる。寛文3年(1663年)に第4代将軍・徳川家綱に初めて御目見し、寛文6年(1666年)には従五位下・式部少輔に叙任される。養子として三次藩を継ぎ、延宝3年(1675年)に家督を相続し、翌年に領地である三次に入る。天和元年(1681年)には越後国高田藩主・松平光長の家臣を預かる。子ができなかったため、長兄の次男を養子に迎え、元禄4年(1691年)に隠居して家督を譲る。元禄14年(1701年)の赤穂事件では、養女の夫である赤穂藩主・浅野長矩の刃傷事件に連座し、遠慮処分を受ける。宝永2年(1705年)に死去し、享年54。貝塚の青松寺に葬られた。
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