三河国田原藩主の四男として生まれ、文久2年(1862年)に養子として竹腰正富の家督を継ぐ。慶応4年(1868年)、新政府により今尾藩の初代藩主に認められるが、付家老の独立に際して竹腰家は除外される。明治元年(1868年)には尾張藩に1万石を返還するよう命じられたが、財政的困難から返還運動を行い、明治3年(1870年)に石高を回復。明治2年(1869年)には版籍奉還を願い出て、今尾藩知事となるも廃藩置県で免官。明治10年(1877年)に隠居し、長男に家督を譲る。明治43年(1910年)、60歳で死去。墓は岐阜県関市の円泰寺にある。











