江戸時代前期から中期にかけての大名。常陸国額田藩の2代藩主として元禄6年(1693年)に家督を継ぎ、その後、元禄13年(1700年)に陸奥国守山藩へ移封された。元文4年(1739年)には尾張藩主・徳川宗春に対して蟄居を伝える使者を務める。寛保3年(1743年)に家督を三男の頼寛に譲り隠居。翌年、延享元年(1744年)に享年81で死去。多くの男子をもうけ、彼らが高松松平家や石岡松平家などを継承し、水戸家の連枝を構成するに至る。五男の定賢は親藩久松松平家を継いだ。
主な祖先
松平頼貞の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















