阿波富田藩の初代藩主として知られる。正保元年(1644年)に父の願いで徳川家綱の小姓となり、徳川家光にも御目見えする。慶安4年(1651年)には従五位下飛騨守に叙任され、明暦3年(1657年)には幕府の詰衆に列し、蔵米3000俵を賜る。寛文6年(1666年)には徳島藩主蜂須賀綱通の補佐を命じられ、後に綱矩の補佐も務めた。延宝6年(1678年)、綱矩から阿波・淡路国などに5万石を分与され、富田藩を立藩。元禄元年(1688年)からは雁間詰を務め、宝永2年(1706年)に隠居、養子の隆長に家督を譲る。宝永4年(1707年)に74歳で死去し、墓所は東京都台東区の海禅寺にある。











