慶長16年(1611年)に生まれ、元和6年(1620年)に阿波徳島藩の第2代藩主となる。幼少での藩主継承により祖父・蜂須賀家政が後見を務めた。元和9年(1623年)に正式に元服し従四位下阿波守に叙任される。寛永2年(1625年)、藍の流通を統制する藍方役所を設置、寛永8年(1631年)には淡路支配の体制を整えた。寛永9年(1632年)、農民統制を補完する裏書七箇条を発布。正保3年(1646年)には、江戸幕府の評定所での訴訟で勝利し、反逆を企てた益田長行を処罰した。慶安5年(1652年)に42歳で死去し、長男・光隆が跡を継いだ。
主な祖先
蜂須賀忠英の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫












