安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将である最上家親は、出羽山形藩の第2代藩主を務めた。徳川家康の近侍として仕え、13歳で元服し、後に家康の偏諱を受けて家親と改名。関ヶ原の戦いでは徳川秀忠に従い、上田城攻めに参加。父の死後、最上氏第12代当主となり、山形藩の藩主を継承。大坂の陣では徳川方に与し江戸城の留守居役を務めたが、元和3年(1617年)に江戸で急死、享年36。死因は毒殺や急病死の疑いがあるが、詳細は不明。家督は子の義俊が継承したが、次代で最上家は改易される。後世では父に似ぬ暗君とされることもあるが、暗愚さを示す具体的な記録は残されていない。











