江戸時代初期の旗本である荒川持暇は、将軍徳川家光に近侍していた。寛永13年(1636年)に御手水番に任じられ、寛永15年(1639年)には従五位下・丹波守に叙位された。その後、寛永16年(1640年)に御膳番となり、加増を受けて700石を知行する。しかし、寛永17年(1640年)2月、職務上の失態で罷免される。前日、家光の外出時に御刀を誤って駕籠者に渡してしまい、罪を免れなかったが、家光の外出が非公式であったことや家柄が考慮され、処罰は軽減された。その後については『寛政重修諸家譜』に記録がなく、弟の定昭が家を継いでいる。











