江戸時代中期の旗本である荒川定由は、御使番として巡見使に任じられたが、報告書が不十分だったため罷免された。寛文6年(1666年)に生まれ、延宝7年(1675年)には10歳で将軍徳川家綱に初めて謁見する。貞享2年(1685年)には父の不始末に連座し、丹羽長次に預けられたが、翌年赦免される。元禄2年(1689年)に兄が亡くなり家督を継ぎ、宝永3年(1706年)に寄合に列し、宝永6年(1709年)に御使番となった。享保元年(1716年)に関八州の巡視を命じられるも、報告書の不備で享保2年(1717年)に罷免される。享保6年(1721年)に52歳で死去した。











