鎌倉時代の公家である資宗王は、後鳥羽院政期初頭の建仁元年(1201年)に従五位下に叙される。元久2年(1205年)に源朝臣姓を与えられ侍従に任官。建永2年(1207年)には従五位上に昇進するが、翌年に一時解官。承元2年(1208年)に赦され復帰すると、官位を順調に昇進し、承久元年(1219年)に右近衛少将となる。元仁元年(1224年)、兄の死去に伴い神祇伯となり、花山王氏を継承。天福2年(1234年)には正三位、暦仁元年(1238年)には従二位に昇進。仁治2年(1241年)、神祇伯を子の資基王に譲り出家する。最終官位は神祇伯従二位。











