鎌倉時代前期の公卿である。藤原北家真夏流の出身で、広橋家の祖として知られる。儒学に精通し、近衛家に近い立場を取った。生涯で但馬守や蔵人頭、左大弁、造東大寺長官などを歴任し、元仁元年(1225年)に参議に任じられて公卿に列した。翌年には従三位、さらに権中納言に叙任され、安貞2年(1228年)には正三位、貞永元年(1232年)に従二位に昇進したが、翌年に権中納言を辞任。熊野信仰に厚く、日記『頼資卿記』には20回以上の熊野参詣が記されている。嘉禎元年(1235年)に病を理由に出家し、法名を真寂としたが、ほどなくして薨去した。享年55。

















