鎌倉時代中期の武将で、北条重時の娘を妻とし、重時の被官として活躍。承久3年(1221年)の承久の乱では右目に矢を受けながら奮戦した。六波羅評定衆として北条重時やその子を補佐し、京都新日吉神宮の小五月会では流鏑馬を担当。宝治元年(1247年)の鶴岡八幡宮放生会で三浦盛時と序列を巡って諍いを起こした。日本曹洞宗の開祖道元と親交があり、越前国志比荘に永平寺を建立する際に土地を寄進し貢献した。義重の像は永平寺の仏殿内に祀られており、彼の子孫は曹洞宗の檀家筆頭に位置づけられている。
主な祖先
波多野義重の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











