平安時代中期から後期に活躍した藤原兼房は、貴族であり歌人でもあった。長和4年(1015年)に右近衛少将に任じられ、後には中宮権亮や右馬頭などの役職を歴任した。寛仁2年(1018年)には内裏での宴会で藤原定頼に対する暴力事件を起こし、謹慎処分を受ける。その後も度々問題を起こし、治安3年(1023年)には再び内裏から追放される。地方官としては丹後守、備中守などを務めたが、公卿昇任は果たせなかった。歌人としては『後拾遺和歌集』などに和歌が15首採録され、名を著した。また、柿本人麻呂を崇敬し、その姿を絵に描かせて秘蔵していた。延久元年(1069年)に69歳で没する。
主な祖先
藤原兼房の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















