源扶義は、平安時代中期の公卿で、宇多源氏の一員。学問に励み、天延3年(975年)には文章生となる。貞元2年(977年)に進士蔵人として六位蔵人に任命され、その後も順調に昇進。天元5年(982年)には安芸権守、翌年には河内守を務める。寛和2年(986年)に正五位下となり、永延元年(987年)には五位蔵人兼右少弁として一条天皇に仕える。正暦5年(994年)には参議兼右大弁に任命され、公卿に列する。議政官としての職務を全うし、長徳4年(998年)に48歳で没する。没後の寛弘7年(1010年)には邸宅が焼失したという記録が残る。





















