戦国時代の公卿である日野内光は、日野家の当主として活躍。日野勝光の子・政資の遺言により養子となり、日野家を継承。足利義澄から偏諱を受け、日野澄光と改名。義稙の復帰を助けた細川高国と縁戚関係があり、義稙寄りで改名したとされる。大永1年(1521年)には参議、左大弁に就任し、順調に昇進。桂川原の戦いにて細川高国側につき敗北し、討ち死にした。享年39。後に左大臣と従一位を追贈された。内光の系統は早世により断絶し、広橋家から輝資が養子として入った。
主な祖先
日野内光の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











