室町時代中期から後期にかけて活動した武将。享徳の乱の鎮圧を目的に室町幕府から派遣された堀越公方・足利政知を補佐するため、関東に下向した。しかし、扇谷上杉家との対立により失脚する。長禄元年(1457年)に足利義政の命で異母兄の清久が還俗し、足利政知として関東へ下向する際、共に行動した。義鏡は政知の執事として活動し、渋川一族の動員も認められるなど影響力を持ったが、堀越府と関東諸将との争いが深まる中で幕府から退けられ、その後の動向は不明。養子の義堯が蕨城主となったとされるが、記録は少なく、詳細は伝わっていない。









