天正10年(1582年)、甲州征伐で武田家が滅亡した後、信道は甲府の長延寺で信玄の御伽衆だった実了の養子となり出家した。織田信長が本能寺の変で死去した後、甲斐国は徳川家康の領地となり、信道は家康と拝謁。慶長8年(1603年)、長延寺の2世住職となるが、大久保長安事件に連座し、慶長18年(1613年)に松平康長に預けられた。元和元年(1615年)には伊豆大島に配流され、同地で没した。信道の子孫は赦免され、江戸に戻り、信興が高家となり、その系統が嫡流とされた。信道夫妻と家臣の供養塔は東京都の史跡に指定されている。
主な祖先
武田信道の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











