戦国時代の公卿であった。太政大臣・三条実香の子で、従一位・左大臣にまで昇進した。三条家16代当主として、藤原北家の閑院流嫡流に属し、信仰心が篤く質素倹約を家風とした。明応4年(1495年)に生まれ、永正11年(1514年)に権中納言、天文10年(1541年)に内大臣を歴任。甲斐国国主・武田信虎の嫡男・晴信(後の信玄)の元服に際して京から勅使として赴くなど、政治的な役割を果たしていた。天文20年(1551年)には周防国の大内義隆を頼って下向したが、大寧寺の変に巻き込まれ殺害された。その後、三条家は一時断絶したが、分家筋から後継者が現れ再興された。
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三条公頼の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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