戦国時代の武将として名を馳せた。父・三好長慶と共に上洛し、室町幕府第13代将軍・足利義輝に仕える。永禄3年(1560年)には従四位下・筑前守に任官され、摂津芥川山城を治める。父に劣らず智勇兼備とされ、六角義賢の侵攻時には兵を率いて戦う。永禄6年(1563年)、病に倒れ、22歳で死去した。その死因には松永久秀による毒殺説があるが、後世の軍記物に基づく風聞に過ぎず、確証はない。義興の死により父・長慶も心身の異常をきたし、翌年に死去した。義興の早世は惜しまれ、彼の器量は父祖に劣らぬものと評価されている。







