戦国時代の浄土真宗僧侶である顕悟は、河内願得寺の2世住持を務めた。永禄元年(1558年)に本願寺法主顕如を戒師に出家し、後に父から願得寺の住持を継承。元亀元年(1570年)の石山合戦では、顕如の檄に応じて石山本願寺に籠城し、織田信長と戦った。天正17年(1589年)の聚楽第落書き事件では、豊臣秀吉から追及を受けた牢人を寺内に匿ったが、その中に妻の一門である斯波氏がいたため、特に顕悟夫妻が身柄を固められた。牢人が京都に送られる前夜、顕悟は自裁。死後、顕如からその功績を称えられ、願得寺に高座が下賜された。遺骸は晒し首となったが、後に願得寺に還り、頭蓋骨が現存している。









