江戸時代初期の女性で、八条宮智忠親王の妃となった。元和7年(1621年)に金沢城で生まれる。寛永19年(1642年)、22歳で智忠親王に輿入れし、叔母の東福門院の養女として縁組が成立した。智忠親王の御殿が荒れていたため、富姫の輿入れにより前田家からの援助で修繕と増築が行われた。二人の間に子女は生まれなかったが、後水尾院の皇子・穏仁親王を猶子とした。寛文2年(1662年)に智忠親王が病で亡くなり、富姫もその後を追うように死去。享年42。遺体は前田家に戻され、墓所は野田山前田家墓所にある。院号は真照院。






