江戸時代前期の旗本であり大名でもある。寛文2年(1662年)、長兄から2500石を分与され、別家を立てる。天和元年(1681年)、三河加茂郡に移封され、翌年には丹波氷上郡で2000石を加増。天和3年(1683年)には寺社奉行に任じられ3000石を加増され、合計1万石で大名となる。しかし、貞享4年(1687年)には勤務怠慢で寺社奉行を免職され、2年後に加増分を没収され旗本に戻る。元禄15年(1702年)には寄合となり、正徳2年(1712年)に71歳で死去する。嫡男が早世し、家督は養子が継ぎ、以後は7000石の旗本寄合家として明治維新を迎えた。











