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本多忠周ほんだただちか

本多忠周

江戸中期の大名

氏族称・藤原北家九条流
生没1642年 - 1712年
位階従五位下
官職 伊予守
幕府職

江戸時代前期の旗本であり大名でもある。寛文2年(1662年)、長兄から2500石を分与され、別家を立てる。天和元年(1681年)、三河加茂郡に移封され、翌年には丹波氷上郡で2000石を加増。天和3年(1683年)には寺社奉行に任じられ3000石を加増され、合計1万石で大名となる。しかし、貞享4年(1687年)には勤務怠慢で寺社奉行を免職され、2年後に加増分を没収され旗本に戻る。元禄15年(1702年)には寄合となり、正徳2年(1712年)に71歳で死去する。嫡男が早世し、家督は養子が継ぎ、以後は7000石の旗本寄合家として明治維新を迎えた。

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主な祖先

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6親等祖先

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10親等祖先

伊勢貞国

9親等祖先

松平清康

6親等祖先

足利義氏

16親等祖先

土岐頼貞

15親等祖先

源義国

19親等祖先

伊東祐親

19親等祖先

源義家

20親等祖先

足利義兼

17親等祖先

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