室町時代の因幡国守護大名。伯耆守護である山名教之の子として生まれる。元服時には山名持豊(宗全)から偏諱を受け、豊氏と名乗る。山名熈幸の養子となり、因幡守護職を継承。寛正2年(1461年)には因幡国内で領地を押領していたことが記録されている。応仁の乱では因幡守護として3000騎を率いて山名方に参陣し、京都での合戦に参加した。没年は不明であるが、文明年間にもその名が記録に残る。豊氏の後、守護職を継承したのは山名豊時とされるが詳細は不明。子息として「智房」の名が系図に記されているが、詳細は明らかでない。











