南北朝時代の武将である。室町幕府で小侍所所司を務め、丹後、伯耆、但馬の守護を歴任。父・時氏に従い、塩冶高貞追討や楠木正行との戦いに参加。観応の擾乱では北朝方に属し、尊氏の嫡男・義詮と共に南朝の男山を攻める。若狭の所領問題で南朝に帰順し、直冬を奉じて勢力を拡大。父の北朝帰順後、丹後・伯耆の守護職を継ぎ、幕政では細川頼之らと抗争。建徳2年/応安4年(1371年)に父が死去後、惣領となるが5年後に49歳で死去。幼少の息子たちに代わり、弟・時義が後を継ぐも、一族内紛の一因となる。伯耆に打吹山城を築き、居城を移転した。
主な祖先
山名師義の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫













