戦国時代の武将で但馬国の守護を務める。永正8年(1511年)に生まれ、大永8年(1528年)に叔父の死去により山名氏の家督を継ぐ。天文9年(1540年)、尼子氏との戦いに参加し、細川晴元側に転じる。生野銀山を発見し、経営のために生野城を改修した。天文17年(1548年)には因幡守護家と対立し、因幡の統一を試みるが、尼子晴久の台頭により影響力が低下。永禄12年(1569年)、織田氏の侵攻により但馬を追われるが、堺で商人の渡辺宗陽を頼って復帰。晩年は織田氏と毛利氏の対立の中で毛利方と和睦するが、天正8年(1580年)に有子山城が落城し、その直後に病没。享年70。











