安土桃山時代から江戸時代前期の武将で、但馬国の出石の領主を務めた。父の影響で但馬を追われるが、今井宗久の仲介で帰国。山名氏を継承し、居城を此隅山城から有子山城に移す。天正3年(1575年)、毛利輝元と和睦し、織田信長には信頼を寄せていた。天正8年(1580年)の有子山城落城後、豊臣秀吉に降伏し、馬廻衆として仕える。天正10年(1582年)には播磨国加古郡に領地を与えられる。晩年は関ヶ原の戦いで西軍に属し、その後大坂城に迎えられたとされる。没年については諸説あり、寛永元年(1624年)に死去したとも伝えられる。法名は円成院殿一翁仙公大居士。











