平安時代中期の貴族で歌人。藤原道兼の三男として生まれるが、父の死後は伯父の養子となる。長保3年(1001年)に元服し、兵衛佐や左近衛少将を歴任する。寛弘2年(1005年)には踏歌節会での事件により謹慎処分を受ける。長和3年(1014年)に三条天皇の蔵人頭となるが、後一条天皇の即位により職を失う。公卿昇進は果たせず、後に越前守となり、紀伊守在任中に71歳で亡くなる。『後拾遺和歌集』に和歌が1首収録されている。賀茂祭に向けて新調した牛車が話題となったが、結局使用されることはなかった。
主な祖先
藤原兼綱の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











